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優しく生きる方法

2021/05/18
 
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 私はKindle作家の浅岡家山といいます!  このブログでは『やさしさ』や『物語技法』『Kindle本』などの皆様に役立つ知恵を、色々な形で発信していきます。
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目次

憎しみを吐き出すとやさしくなれる

 やさしさって体験すると気持が良いですよね。

 プレッシャーとかで殺伐としていた心もほっこりするというか(笑)

 でも、なかなかやさしさを体験することって少ないです。

 その原因について語りましょう。

 憎しみを吐き出すとやさしくなれるというお話です。

 ※この記事は当ブログの記事を再編集してまとめたものです。

やさしさを出そうとしても憎しみが溜っているのでやさしさが出せない

 私たちの住んでいる社会は、競争社会です。毎日、子供は学校の成績で、大人は会社の売り上げで競争をしています。そこで重要になってくるのが、上の人間の言うことに従うということです。

 学生時代に暴力的な教師っていましたよね。授業で当てられて、質問に答えられないと、「なんでわからないんだ!」と恫喝したり、ヒステリー気味で叱りつける先生もいました。大人の社会でもパワハラという形で言葉の暴力があります。

 暴力を受けた生徒や大人は、自分が間違っていたからいけないんだと自分に言い聞かせながら、その教師や上司に対して憎しみや怒りをため込みます。感情を抑圧するわけです。憎しみが発散できず憎しみがどんどんたまります。この憎しみを発散させないと、いつか大きな争いになります。

 アリスミラーという精神科医の著書『魂の殺人』では、ナチスドイツの誕生は、第一次世界大戦で負けたことによる賠償金が原因ではなく、当時のドイツ人が受けていた暴力的な教育方法が原因だと語っています。当時のドイツの子供たちは家庭でも学校でも激しい暴力に晒されていて、勉強ができないと暴力をふるわれていました。

 つまり、暴力が肯定されていたわけです。生徒たちは「勉強ができない自分が悪いから暴力を受けるんだ」として受け入れていましたが、憎しみの感情はどんどん蓄積していきます。その衝動が、ナチスドイツの「人種として劣っているユダヤ人は迫害するべきだ」という主張に賛成させていたのではないかと書いています。

 日本もこれほど極端ではありませんが、体罰や折檻などの肯定された暴力は存在します。これが厄介なんですね。

参考文献 A・ミラー 『魂の殺人』 新曜社(1983) 

憎しみを出していけばやさしい行動が出来るようになる

 私たちの社会は、基本的に他人に迷惑をかけてはいけないという社会です。だから憎しみを覚えても我慢しなければいけないと習います。それを表に出すことは、悪いことだと言われます。憎しみで他人に暴力をふるうような行動は批判されます。でもそのため抑圧を続けていきます。

 憎しみを吐き出す、ガス抜きの行動が少ないのです。だから多くの人は、憎しみを抱えて生きているのでしょう。

 では、どうしたら憎しみを吐き出すことができるかというと、憎しみを日記を書いたり、バッティングセンターでボールを嫌いな人に見立てて、打てばいいんですよ。腹が立ったら、ボールに怒りを込めて打つ。すると、憎しみの感情を味わい、表に表現することで憎しみは減っていきます。抑圧が解消されていきます。

 私はコンビニで働いていたときに、最初は、オーナーからバシバシ怒られました。ミスをするたびに叱責され、鬱々としていました。あるとき、自分を変えたいと思い、憎しみや怒りをノートに書くようにしました。すると、憎しみが減りつつ、強い疲れを感じて、ぐっすりと眠れるようになりました。憎しみを表に出したために、身体の緊張が解き放たれて楽になったのだと思います。

 憎しみは吐き出すことができます。

 さらに良いことは、憎しみを吐き出した人は、他人にやさしくなれるんですよ。これはカウンセラーと同じです。自分の抱えている問題を乗り越えたことで他人を癒すだけの力になります。

 憎しみを乗り越えた経験のある人は、憎しみを持っている他人の気持がわかり、助言をしたり、他人を受け入れてやさしくなったりすることができるのです。また、憎しみを解消したことで余裕ができて他人を受け入れることができます。

 そうやって感情の抑圧を解消していくことで、やさしく生きることができるでしょう。

【納得】自分へのやさしさで欠点を受け入れ幸せになる方法

 学校で学力を競います。

 職場で売り上げを競います。

 私たちはいつも競争に明け暮れます。

 そういう競争にまきこまれずに、本当の幸せを掴むためにはどうしたらいいか解説していきます。

欠点を認めない人

 自分の欠点を認めない人っていますよね。仕事でミスをして、こういうところが駄目だよと指摘すると、逆ギレをして、開き直るとか。自分は悪くないと言って、他人のせいでこうなったとか言う人です。自分を守っているんです。これは、何か他人に迷惑をかけたら、反省をして謝罪するという習慣のない人です。

 幼少の頃に親や教師が、他人に迷惑をかけた子供に、反省をさせ謝罪をさせ、行動を改めるという一連の流れを体験させることができたら失敗を認める子供になれるでしょう。親や教師も子供が可愛いわけです。だからこそ、一人前の人になって欲しいから、悪いことをしたら反省させるという行動を体験させます。

 ところがそういう習慣のない家族や教師がいます。そういう人は、他人に迷惑をかけると、一言、「ごめんなさい」とか「すみません」と言うだけで、反省や行動の変化をしないんですよ。さらに指摘されると、逆ギレをするか、無視するかして、自分の非を認めなかったりします。ひどくなると他人のせいにします。

 そういう家庭環境や学校環境にいると、人はまともには育たないのです

間違った方法で乗り越えようとする

 まともな人として育たない人の共通点としてあるのは、問題が起きると、間違った方法で乗り越えようとするということです。

 たとえば、自分の容姿についてからかわれ、傷ついたとします。すると、見た目を変えようとして、髪型を変えたり、服装を変えたり、極端になると顔を整形したりします。

 それは、一見正しい対処法に見えますが、心の傷は治りません。さらに極端になると、学業やスポーツに力を入れて、他人に勝ることをしようとします。自分の容姿をからかった者に、学業やスポーツでやりかえすことで、一時の優越感を味わいます。ざまあみろという感じですかね。

 「私はあいつを絶対に許さない」というネガティブな動機で、行動をします。ひどい場合は、いじめや暴行をするかもしれません。他人をおとしめることで、優越感に浸ります。でもそれは、一時的なもので、根本的な問題解決にはなりません。他人に勝っても心の傷は癒えません。逆に、ますます強固に傷を見ない方へ進んで行きます

 たとえば、自分は風邪を引いたのに、風邪をひいたことを認めたくなくて腹痛なんだと決めつけて腹痛の薬を飲む。それで具合が悪くなっても頑なに風邪だと認めず腹痛の薬を飲み続ける。身体はどんどん悪くなるだけです。それでは風邪は治りません。それと同じですね。

 心の傷は、学業やスポーツや、他人を傷つけることでは癒されないのです。それは傷ついたことへの復讐として、相手より勝ろうとする補償作用なのです。自分を傷つけておとしめた相手を自分よりも低い存在にいたらしめて、傷を負わせたい、この怒りをぶつけたいという原始的な行動です。

 こういう行動はたくさんあります。たとえば、夫婦仲が悪いから子供ができたら良くなるという間違った考えや思いつきから子供を作り、ますます苦しい生活になるとか、東京に行けば、こんな私でも輝けるかもと思い、上京するとか。

 今の生き方が苦しいから状況や環境を変えるという甘い見通しから、ますます辛い場所へ行動をしてしまうわけです。一時は夢見て、行動をし、さあこれから良くなるぞと思うのですが、間違った対処法なので失敗に終ります。こういう生き方をする人はかなり多いと思います。テレビのドラマの見過ぎで、こういう恋愛ができるとか思うわけです。

 昔、「ロングバケーション」という有名なドラマがあって、主人公はピアニストで賞を目指してピアノの練習をします。そこに売れないタレントと出会い、恋愛をし才能を開花させます。それはドラマとしては感動できるものなのですがそれを真に受けて、ドラマの影響からピアノ教室に通う人が増えたそうです。ピアノを習うことでドラマのような出会いがあるのじゃないかと、間違った行動をする人がいたのでした。

 ときどき、こういう現象があり『金八先生』を見て、教師を目指したり、行政書士のドラマを見て、行政書士を目指すとか。間違った行動をしてしまう人は一定数います。

自分をやさしく認めることで他人をやさしく認められるようになる

 ではどうしたら自分の傷を認め、補償作用としての行動をやめることができるか。それは、自分を認めることです。外に原因を探すのではなく、内に原因を探すのです。たとえば、カウンセラーに自分の心の傷を語ることで、恐れている感情を受け止め、ありのままの自分を受け止めることです。自分の欠点を認めることです。

 欠点を認めることは怖いことです。親や友だちから馬鹿にされ、辛い気持になったことがあり、それを思い出すのが怖くて、つい欠点から目をそらそうとします。ドラマや映画などの芸術に触れることで、目をそらします。でもそれでは治りません。

 欠点は悪いことではないのです。また、欠点と考える必要はないのです。ただの違いです。これは方言を考えたらわかりやすいでしょう。方言を馬鹿にされたとしても自分に自信がある人は、自分の方言を治そうとはしません。郷土愛があるなら、なおさら方言のままで生活をするでしょう。方言は欠点ではありません。ただの言語です。他人と違うのは当たり前なのです

 どうしたら自分の傷に対して自信を持てるようになるかというと、自分にやさしくなることです。自分へのやさしで、自分の欠点を褒めることです。自分の欠点を他人に批判されたことで、傷ついたのなら、自分で自分の欠点をやさしく褒めて下さい。

 他人に批判された以上に、自分をやさしく褒める。ノートに書くのでも言葉にして呟くのでもいいでしょう。自分をやさしく褒める言葉を自分に語っていくとそれは自信になります。たとえ批判されても動じなくなります。

 子供を育てていくのに、駄目だ、駄目だと言って育てた子供は記憶の中に何をやっても駄目だという刷り込みがあるために、何をやっても駄目になります。その逆をすればいい。自分をやさしく包み込み、やさしい言葉をかける。やさしく褒める。それをやればやるだけ癒されていきます

 ときには泣くこともあるでしょう。でも褒め続けることで、自信がつきます。

 すると自分の見たくない自分を逃げずに認められるようになり、正しい治し方がわかります。冷静に対処ができるようになります。

 たとえばメンタルクリニックに通う人で薬を出されても途中で飲むのをやめてしまう人がいるそうです。それは薬を飲む自分が許せないのです。自分の病気を認めたくないので薬を飲まないわけです。でも、病気だから体調を崩し一向に良くなりません。自分を許し自分には薬が必要だと認めることのできる人は、病気の快方に向かいます。

 そのためにも自分をやさしく褒めることが大切です。

 そして自分をやさしく褒めることができる人は、他人の欠点に寛容になります。自分の欠点を受け入れられたように、他人の欠点を受け入れられるようになります

 優越や競い合う生き方から、意識が変わり、人間が変わり、付き合う人たちが変わり、共生や、やさしさの生き方に変わっていきます。器が大きくなります。

家系の毒を吐き出すことになり、成功できる

 前に、家庭環境に問題がある人は、反省する経験がないと書きました。その人、その人により違った家庭環境があるのですが、その中に家系の毒という考えがあります。

 虐待やネグレストをする親は子供の頃に親から虐待を受けた経験があります。するとそういう習慣を身に付けているため、自分に子供ができると虐待をしてしまいます。それは自分が受けたことをそのまま子供にしているだけです。悪気がないのです。悪いことだと思わずしてしまいます。

 この習慣は、代々、親から子に受け継がれています。きっと先祖も虐待をしたりされたりしていたのです。それが綿々と受け継がれているだけです。これを家系の毒といいます。

 よく虐待を受けた人が、皆、虐待をするわけではないという主張がありますが、これは虐待を受けた人が、周りの大人から助けられ、君がされた虐待はいけないことだと指摘された人は虐待はいけないことだとわかり、子供にはしないようになります。そういう指摘してくれる人と出会えたかどうかで、虐待の連鎖を続ける人と止める人に分かれます。

 虐待をする家庭、父親が頼りない家系、母親が病気の家系。様々な家系の毒があります。その連鎖を止めて、新しい生き方をすることが私たちの課題でもあります。家系の毒を吐き出すことで、子孫に良いところだけ受け継がれるようになります。

自分にやさしくなれると他人にやさしくなれる

 「自分の容姿が醜くて嫌い」とか、

 「自分が弱くて嫌い」とか、

 「勉強のできない自分が嫌い」とか、

 色々な理由で、自分の事を嫌う人っていますよね。そういう人は自分に厳しく他人にも厳しかったりします。

 自分にやさしくないから他人にもやさしくないわけです。他人から自分の頭を撫でられたことがないから他人の頭を撫でることを知らないわけです。

 じゃあ、どうしたら自分にやさしくなれるか? それについてお話ししましょう。

自分を労れない人は他人を労ることができない

 私は、自分を労れない人というのは育った家庭環境に問題があったからだと思うんですよ。労ることを知らない、経験したことがない、やさしくされたことがない。だから労ることってどんなことかわからない。よって労れないわけです。

 これは学校教育にも問題があると思うんです。学校教育では、頭の良い子が優秀な子。脚が早くてスポーツが得意な子が優秀な子。真面目で先生の言うことを素直に聞く子が優秀な子。

 つまり、やさしい心を持っていても優秀とは見なされないわけです。やさしさは点数になりません。だから、頭の良い子ほどやさしさではなく学校の成績やスポーツや聞き分けの良い子を演じるでしょう。そういう歪んだ競争社会が学校教育に存在しています。

 さらに、もっと悪いことは優秀だと認められる子供たちが、悪いことをしてもお咎めがないことがありました。勉強のできる先生のお気に入りの子供ほど、悪いことをしても注意されず、弱かったりやさしいなどの先生の気に入らない子供は難癖をつけて罵倒されていました。不公平があからさまに存在しています。

 競争が全てみたいになっているわけです。

自分を認めることから始めよう

 ではどうしたら自分にやさしくなれるかというと、まず自分を認めることでしょうね。自分はこういうところが他人よりも至らないとか、自分にはこういう欠点があるとか、自問自答するのがいいでしょう。

 自分がやさしくないのは何故なのだろうか? どうしたら自分は自分にやさしくなれるのだろうか? そもそも自分はやさしいのだろうか?

 そうやって自分のネガティブな部分に光を当てると見えてくるものがあります。ただ、この行動はけっこう辛さをもたらします。今の自分を否定しますからね。だから無意識に避けてしまって、変化できずに、結局、やさしくなれないままだったりします。

 では、どうしたら自分を認められるか? 変わっていけるか? それは余命を宣告されたと考えるのもいいでしょう。

 たとえば体調が悪いので医者に行ったら末期癌で余命はあと一ヶ月だと宣告されたとします。もう気が気ではいられなくなり、将来のことなんてどうでもよくなり、今、したいことだけをするようになると思うんですよ。あと一ヶ月しか生きられない。死から逃げられない。

 なら逃げることを諦めて自分の非を認めていくと思います。自分の人生を振り返って、こういうところが良くなかった、ああいうことから逃げてしまっていたと、自分を受け入れようとしますよね。もう逃げられないわけだから自分の死を、人生を、性格を、容姿を、悪いところを受け入れるしかない。すると、光明が見えてきて、自分を認めて、最後は自分のしたいことをするでしょう

 やさしさがないのなら、やさしさを受け入れる。自分の死を一緒に受け入れてくれるやさしい人を求める。すると、やさしさを体験できます。

自分を認めると相手も認めてくれる

 自分を受け入れることができると他人も受け入れることができます。自分の悪いところを認めることは他人の悪いところも認めることにつながります。だから攻撃性が減り、あるがままを受け入れるようになります。すると、他人から認められることになり、そういう人たちが集まってきます。自己肯定をしている人たちが集まってきます。

 私はコンビニで働いていた頃、新人いびりをするお客さんがいたんです。毎週、土曜日の深夜に、酒臭い息をしながら車でやってきます。そして、声が小さいとか、温めが弱いとか、八つ当たりのように注意をしてきます。バイトの間でも嫌われているお客さんでした。

 そのお客さんは、自分の言うとおりしないといつまでも帰らないんです。十分でも二十分でもレジから離れず、ずっと文句を言います。私は早く終るように願うばかりでした。でもなかなか帰らないわけです。そして、毎週土曜日の深夜に来るわけです。私は憂鬱になって土曜日が来なければいいと思い、ノイローゼのようになりました。

 どうしたらいいか悩みました。もう土曜日になったらそのお客さんがくる。逃げられない。苦しみのなかで、なら、そのお客さんのことを肯定しようと思いました。そのお客さんが望む店員になればいいと思いました。

 たとえば声が小さいと言われたので、大きな声を出すようにする。いつも新しいお客さんが入口から入ってくると、大きな声を意識して挨拶をする。レジでも相手に伝わるように声を出す。そういう風に態度を変えたら、なんと、そのお客さんは来なくなりました。そして、二度と会うことはありませんでした。

 これはたまたまなのかもしれません。ただ、私が変わったことで他人も変わったのだと思っています。その人の要望やその人を認めたことで、他人から認められたのではないでしょうか。

やさしさの循環が起きる

 こうやって他人を認めて自分を認めると、やさしさの循環がおきます。

 やさしさの循環とは、たとえが悪いかもしれませんが、これはペットを飼うのと似ていますね。人はペットをたくさん愛しますよね。ご飯の用意をし、トイレを掃除して、世話をします。それは可愛いからです。ペットに癒されます。そして、ペットはそういう世話を焼いてくれる人を認知していて、世話した分だけこちらに愛を返してくれます。やさしくすればするだけやさしくしてくれる。やさしさの循環が起きるんですよね。

 私は猫を飼っているのですが、とても可愛いです。そこにはネガティブな気持はありません。たとえ便の処理をするにしても、可愛いので苦にならないです。臭いなと思いながら、しかたないな~、もう、とか思いながら甲斐甲斐しくトイレの掃除をするわけです(笑) 愛がなければできないことですよね。猫の全てを肯定して、全てを受け入れているわけです。そこには感謝の心があります。この家に来てくれてありがとう。この家のペットになってくれてありがとう。私と出会ってくれてありがとう。そういう気持が根底にあって、いつまでも長生きして欲しいと思っています。

 ペットを愛するように自分を愛しましょう。他人を愛しましょう。すると自分も他人もペットも幸せになっていけるかなと思います。

 そんな感じで、自分を認めることと他人を認めることは同じことだと思いますね。きっと鏡のような関係なのでしょうね。

 やさしい人間になりたければ自分がやさしい行動ができるように自分を矯正することです。トラウマなどがあってネガティブな心情になるかもしれません。死んだ方が楽なんじゃないかと思うかもしれません。でも自分を受け入れ、乗り越えようと新しい行動をとると、新しい生き方ができるようになると。実際、私はそうやって過去の自分と和解できましたね。

誰でも苦手なものがあるものです。でも、そこから逃げずに戦うことで道は開きます。大切なことは勇気です。

【これを読んでおかないと損ですよ】やさしさで良い人間関係を作る方法

 やさしさで良い人間関係を作る方法についてお話ししましょうか。

人間には欲望がある

 人間って当たり前ですが、お腹がすけばご飯を食べたくなりますし、眠くなれば睡眠を取ります。あと、恋人を得たいという性欲を合わされば、所謂、人間の三大欲求、三大欲望です。

 これらは人間が生まれながらに持っている欲求で、生きることと切っても切れない関係にあると思うんです。赤ん坊がお腹を空かせれば、泣いて訴えます。子供がおもちゃが欲しければ、泣きながら地べたに寝転んで駄々をこねます。欲望はそのくらい強いものですし、怖いものでもあります。だって、人間の歴史は、この欲求を満たそうとして発展してきたと私は思うからです。

 戦争をして他国を制圧し、他国の持っている金銀財宝や領土をぶんどって、自分のものにする。戦争の歴史は欲望の歴史でもあります。

 今の時代でも戦いはありますよね。会社は経済という戦いを今も続けていますし、一人の女性を得ようと男たちが群がって男らしさを競い合います。ある会社では容姿の良い女性を多く採用するそうです。そのほうが男性社員が良いところを見せようと頑張るからだそうです。そこには欲望の痕跡が見えます。

 だから人類の歴史は欲望の歴史といえます。良い女性を得たいという男の欲望が、戦いへと導くといえます。

欲望を満たしてあげると良い関係ができる

 この欲望から人間を見ると面白い現象があります。

 昔、私がコンビニで働いていた頃、ある先輩がいました。その先輩は、体力を使う仕事は、他のバイトにやらせて自分はいつもレジに立って楽をしていました。皆、しかたがないなと思いながら先輩なので文句も言えず従っていました。

 その先輩は飲み会が大好きで、皆を誘って居酒屋などに行きました。そして全部、奢ってくれます。酒を飲みながら、笑いながら楽しそうに酒を飲みます。悪い人ではないんですよね。職場の悪口も言わず、皆で美味しいものを食べて美味しい酒を飲む。そして奢る。皆の面倒を見るのが好きな人でした。

 ただ飲み会を断る人には容赦しませんでした。自分の仲間ではないと思う人には、困ったことが起きても助けようとはしませんでした。

 その先輩は皆と一緒に飲んで奢ってやるという欲望を持っていたんでしょうね。一種の征服欲のようなもので、その場の長になりたいという人でした。そしてそれに賛同する人には暖かく接して、そうでない人には冷たくする。

 これは野球やサッカーのファン心理と似ています。同じチームを応援する人には仲良くなり、敵チームを応援する人には冷たくする。そういう同じ目的を持った人には優しく、そうでない人には冷たくするということです。

 人にはそれぞれ欲望があるんですよね。その先輩は一緒に酒を飲んで奢りたいという欲望があったと思います。

 ここからわかることはもし他人と仲良くなりたければ、その人の欲望がどこを向いているかを観察するといいでしょう。たとえば前記の先輩の場合だと、飲み会が好きだとわかったら積極的に飲み会に参加するとか、体力を使う仕事は率先して変わってあげるとか。飲み会を断ったりせず、ある程度、柔軟に先輩に合わせるとか。

 そういう相手のして欲しいことをして、相手のして欲しくないことはしない。飲み会に参加して、奢らせてあげる。つまり相手の欲望を満たしてあげる行動をすれば相手と仲良くなれます。

 だって人間の欲望はとても強いものですから、それを満たしてあげることは相手にとってとても強い幸福感をもたらすからです。仲間だと認められます。そして、欲を満たし続ければ一生の仲間や友だちになれるでしょう。それが親しい間柄といえます。

 ではどうしたら欲望を見つけることができるか? それは相手の表情を観察することです。して欲しくないことをすれば、ストレスを感じて相手の表情は固くなりつっけんどんな態度を取るものです。逆に、して欲しいことをすれば幸福感に満たされ、顔もほころび声を明るくなります。

 そうやってどういう行動をしたときに相手の表情がどう変わるかを観察することで相手のことをより深く理解出来ますし、どういう欲望を持っているかがわかります。

良い人間になるには、欲のコントロールを覚えることが大切

 欲望というのはある程度、コントロールができるものです。そして、それがプラスに作用するものです。

 昔、私がホテルで働いていた頃、そこの上司が支配人との仲が上手くいっていませんでした。上司は公務員の息子で、普通の一般家庭の子供でした。支配人はお金持ちの令嬢で大企業出身の人でした。だから、接点がなく馬が合っていませんでした。

 上司は、常々、支配人の悪口を言ってましたね。あそこが気にくわないとか、俺たちのことをわかってないと怒っていました。支配人は、どう思っていたかわかりませんが、上司は支配人の行動を逐一、批判していました。

 あるとき、私がその上司とホテルに貼る張り紙を作ることになり、お互い、どんな張り紙がいいか相談しました。パソコンで作りながら、デザインをどうするか話し合って私がいくつか案を出して、上司がそれを作っていました。私が、「こうすると、見た目がこのホテルの名刺のロゴや雰囲気に似ていますよ」と伝えると、上司も納得してその案を取り入れて作りました。

 その張り紙が好評だったんです。とくに支配人に(笑)

 それまで気付かなかったのですが支配人はそういうデザインや雰囲気が好きで、そういうもののなかで働きたかったんですよ。それを私と上司で、ホテルに合った張り紙を作ったことで、支配人の欲望を満たしたというわけです。つまり支配人はホテルの高級感やグレード感を気に入っていたのです。

 それから上司は支配人のことを考えながら行動するようになりましたね。前ほど悪口も言わなくなりました。

 これって、とても成長できた例だと思いませんか?

 人間って気にくわない人とかいても、自分の欲はひとまず置いとくというコントロールをして、代わりに相手の欲を満たす行動をすれば仲良くなれるんですよ。そこから良い人間関係を作ることができると思います。そして同じ目標を持ったりすると、なおいいと。

やさしさで良い人間関係を作る方法

 ここまできたらもうわかりますね。良い人間関係を作るには、その人の欲望を満たすことやさしさを使って、相手に合わせて欲望を満たしてあげること。それが良い人間関係を作る方法です。ただし、やさしさはタイミングが重要です。

やさしさはタイミングが大切

 やさしさというのは、相手がやさしくして欲しいと思っているときにすると、とても強いプラスの効果になります。やさしさに飢えているわけで、それを満たしてくれた人には、自然と感謝の心がわくでしょう。

 たとえば、お腹が空いているときほど、食べ物が美味しいみたいな感じですね。

 誰でも欲しいものを与えてくれる人には好感を覚えるものだし、自然と相手の行動に感謝の気持が湧きます。プラスの関係だといえます。

 逆に、やさしくして欲しくないときに、やさしくするとマイナスの効果になります。やさしさが必要ないわけで、余計な行為になります。

 たとえば誰でも満腹の時は、食べものを出されても食べたいと思えず、下手すると吐き気がして苦しいだけです。

 求めていないときにやさしくされても面倒だし、独りよがりになってしまい、関係が微妙に悪くなります。マイナスの関係だといえます。

 ここからわかるとおりプラスの関係を維持していくにはタイミングがとても大切だといえます。相手がやさしさを欲しているときにタイミングよく優しくすることで、良い関係を築けます。

タイミングは恋愛にも通じる

 タイミングについては、恋愛に似ていると思います。

 恋愛は、相手との愛の交換から出来ています。

 初めは知らない者同士だった二人が、知り合い、共通点から話題が膨らみ、仲が深まり、さらに仲良くなりたいからとデートに誘い、お互いをさらに知ります。そして、本当に必要な人だと思うなら、告白し、上手くいけばカップルになります。さらに相手に愛を与え、自分も相手から愛を貰う。その繰り返しの中で自分のトラウマや辛い過去を癒すことになります。

 そういうプラスの関係を作って行くにはタイミングが大切です。相手の恋愛感情が高まっているときに告白できるかどうか、相手の状態を見計らう冷静な眼が必要です。タイミングが全てといってもいいかもしれません。告白する方も、受け入れる方も覚悟が必要です。その覚悟こそがタイミングなのです。

タイミングを見計らう方法

 どうしたら上手くタイミングが計ることができるかというと、相手の心がわかると一番いいと思います。でも、そう簡単にはわからないものだから、それに準ずる方法を紹介します。

相手に質問をする

 あまり良くない方法ですが相手に質問をするという方法があります。僕のこと、どう思っているの? とか、今、やさしさが欲しいとか? とか、さぐりを入れるように質問をします。この方法は、相手が興ざめさせることもあり、あまり良い手ではないです。でも、気心の知れた人同士なら、使えないこともないので覚えておいて下さい。

相手からの影響で見抜く

 次に効果があるのは、相手の表情を読んだり、仕草から心理状態を読み解く方法です。

 相手の目がいつも自分を見ているとか、瞳が潤むことが多かったり、顔を赤らめることが多くなったり。そういう仕草から恋心が芽生えていることを察知しましょう。

 ポイントは、相手から受ける自分の状態です。たとえば、顔を赤らめた相手と会うと、自分も何故かドキドキしたりします。相手の心情に自分も、身体の反応が起きるのです。そういう状態なら相手の心理も自然とわかると思います。以心伝心でしょうか。

相手が女性ならではの方法

 次の方法は、恋人や夫婦の間で使う方法です。それは、相手が女性ならその女性の生理周期を読み解くといいです。イライラしている時期や独り寝が寂しい時期などがわかります。

相手の置かれている状況から類推する

 最後の方法は、相手の状況から心理を読み解く方法です。相手の置かれている状況を話して把握し、そこから何を欲しがっているかを類推します。仕事や勉強が忙しければ労るのもいいでしょう。できるだけ相手の状況を把握するのがポイントです。

タイミングの本質は、感情の動き

 ここまで、やさしさのタイミングの取り方について書いてきました。このタイミングの本質は、感情の動きだと思います。焦りや不安から起きたタイミングで優しさをしても失敗するでしょう。相手に対する愛情があり、相手のためにやさしさの行動をしようとすれば、結局、うまくいくと思います。たとえ、相手が望んでいなくても、とりあえずは感謝の言葉が貰えるはずです。

 大切なことは、やさしさの本質は愛ということです。相手のことを想い、相手のために行動する。自分本位ではなく相手本位に行動することです。そうしていけば、多少の失敗があってもなんとかなるでしょう。相手本位に行動するのがポイントです。

 

【内緒ですよ】他人の目を気にせずにやさしく生きる方法

 「私はこんなに優れている」とか、

 「私は年収がいくらある」とか、

 「私は華族の子孫だ」とか、

 自分のことを大きく見せようとして自慢したり、虚勢を張る人っていますよね。

 そういう他人からどう見えるかを意識している人は、やさしさがなくなる、というお話をしましょう。

自分の本心とは違う。

 虚勢を張る人って、本心は違うんですよ。内心、不安を抱えていて他人になめられるんじゃないか、馬鹿にされているんじゃないか、あいつのほうが強いんじゃないか、そういう不安があるから過剰に虚勢を張るわけです。そして、虚勢を張る態度は本心とは違うと。

 こういう人は自分を偽っているため常にストレスを抱えています。余計な負担があるわけです。すると何かの拍子に、本心が表に現れます。たとえば酒を飲んで泥酔したときに弱い心を吐露して泣き出すとか、寝言を言うとか、動物と触れあうときにやたら甘えるような言葉を吐くとか。

 ストレスが溜っているためそれが表面に出たときに、普段のその人からは想像もつかない行動として出てきます。そして周りの人間は驚くわけです。

 心のやさしい人は、そういう人を見ると助けようとするかもしれません。虚勢を張る必要はないと気付かせようとするかもしれません。でも、虚勢を張って、自分の本心を認めない人ほど、自分の不安な心を見透かされたことを後ろめたく思いながら、ますます虚勢を張り見栄をはり強がったりするでしょう。本当は心が泣いている。誰かに助けて貰いたい、でも恐ろしくて言えない。そして、やさしい人を遠ざけるような行動をして、心やさしい人は自分の元から去って行きます。

 不安を抱えている人は都合良く考え、自分に不安があるとは考えず、あいかわらず殻に閉じこもり心やさしい人がいなくなってからその人の重要性に気付くでしょう。

 どうしてそこまで不安を手放そうとせず虚勢を張るのでしょうか?

 それは不安を見ようとせずにそんなものはないと目を背けたり虚勢にしがみついているんです。虚勢を張ることで、不安と向き合わなくてもいいからです。その不安を解決するように行動をすればいいのですが新しい生き方のほうが不安で行動できないでいる。だから不安定に安定していて、いつまでも偽りの自分を演じてしまうわけです。

ストレスから起きた行動は愛情ではない

 人間はストレスを感じると、それを発散するために他人を攻撃したり見下したりします。

 あるカウンセラーさんは、ストレスがたまると、他人を見下すということを哀れむという形で表現していました。

 哀れむという形は一見、他人を思い、やさしい行動に思えますが本心では他人を見下げています。他人を哀れむという形で自分の優位性を感じてストレスを解消しています。自分のほうが優れていると感じたいのです。

 このように、ストレスから起きる行動は、本当のやさしさとは違います。そこには優位を誇りたいという他人の梯子を外す衝動がきっかけとなる行動だからです。

 私は昔、雑貨のお店を開くことに決めて薬局店を間借りすることにしました。薬局店の人とは知り合いだったのですが、そのとき、改めて挨拶しようと思い、茶菓子を持って尋ねました。店主さんに会って、茶菓子を渡そうとすると、「そんな気遣いいらないよ」と言われました。私は驚いてそれでも茶菓子を差し出すと、店主さんは受け取りながらも哀れむような顔をしました。不快には感じませんでしたが、いつもやさしい店主さんとは違う側面を見た気がしました。きっと茶菓子をもらうことにストレスを感じて、一度、拒絶したのですね。

どうしたら他人から見られることを意識しなくなるか?

 では、どうしたら他人から見られることを意識しなくなるか?

 それには開き直ることがいいでしょう。自分は他人の目を意識するのをやめると宣言するのです。朝、昼、晩に、「私は他人を意識するのをやめる」と声に出してみる。すると今までとは違う世界が見えるようになります。

 新しい生き方に不安を感じるかもしれません。でも、新しい一歩を踏むことで人間は変わっていきます。

 また、自分の生活を変えるものを買うのもいいでしょう。椅子とかパソコンなどの生活環境の変わるものを購入する。貴金属や腕時計とか宝飾品とか、一時の感情を動かされるものは生き方を変化させないので購入は控える。

 たとえば人間工学に基づいた高価な椅子を購入して、その椅子に座っていくうちに姿勢が変わります。姿勢が変われば身体の血行が変わります。血行が変われば体調も変わります。そして体調が変われば意識が変わります。つまり、生活を変えるものを買うことで自分に変化が起きて、良い方向に進めると思います。

 また自分の欲しいものを認めるのもいいでしょう。こうなりたい、ああなりたいと思ったことをする。ただし、その欲求は親からの求めや世間体からきたものでないか考えてみる。不安からきたものではなく自分の本心から求めるものなのかを考える。

 これは、簡単に言えば病気を治したいと思うのと同じなんですね。たとえば風邪をひいて寝込んでしまった。具合が悪くても絶対に治したい、そのためならなんでもする、と言って、ドラッグストアで風邪薬を買ったりスポーツドリンクを買うとか。絶対に治すんだと思って行動することは必ず叶います。

 また、自分のしたくないことからするのもいいでしょう。すると今までの自分ではない自分に変われます。自分のしたくないことは、今の自分が苦手にしていて足りないものですから、それを補うように行動することは、自分に変化を与えます。これには勇気が大切ですね。違う流れにえいやっと飛び込む勇気が大切です。

自立心のある人は、不安をどうするか

 他人を意識して行動する人はいつも不安を抱えています。それとは対照的に自分のやりたいことを、他人に迷惑をかけず他人と共生して実行する人もいます。そういう人は、たいてい自立心があります。自立心のある人は不安とどう付き合うかというと、問題が起きたら自分で考えて自分で解決するように行動するでしょう。

 そして、不安に困ったときはカウンセリングなり占いなりを自分から受けにいくでしょう。自分で自分を救う道を選ぶんですね。不安のある人は行動がどこかおかしいです。不安のなかにいるので、何を信じて行動したらいいか混乱するわけです。

どうしたら自立心が身に付くか

 じゃあ、どうしたら自立心が身に付くかなのですが、自分の欲しているものがわかり、それを手に入れるための努力ができる人が自立心がある人だと思います。自分の欲求がわかり、それを得るためにはどうしたらいいかを考えて行動できる人は、自立心があって努力が出来る人です。自分の人生を自分で作っていける人です。当たり前のことですが、それが出来ない人はけっこういます。

 ポイントは自分の欲求なのか、それとも他人の欲求なのか、その違いを知ることでしょうね。子供の頃良い子だった人ほど、自分の欲求ではなく親の欲求を叶えるために行動してしまいます。他人に依存しやすい人ほど自分の人生ではなく、親のための人生を送ってしまいます。子供の頃は若いからそれがよくわからず努力するのですが成人になるころには、我慢できなくなり摂食障害などの病になったりします。他人の欲求を叶える行動って楽しくないんですよ。

 そういう人が自立心を身に付けるにはカウンセリングなどを受けながら自分の欲求を満たすために考えたり、努力をして心も身体も強くしていくといいと思います。ヨガとか太極拳とか何でもいいので身体を強くするものしていけばストレスにも強くなるし、本当の自分の欲求が見えてくるんじゃないかなと。もともとヨガは心と身体のバランスを整えるのに向いたものですし。だから自立心を身に付けるには自分の欲求を認めることから始めればいいと思います。そして、その欲求を叶えるために努力していけば良い流れに乗って自分を回復させる道に乗れていけるでしょう。

未来に向かって生きる人は優しい人になれる

 不安を抱えている人は過去にこだわったりして未来に目が行かなくなってるんですよね。過去に執着する。過去を悔いたり、現在を嘆くだけで、現在を変えていこう、良い未来に進もうという意志が弱いんですね。というか、そんなこと一切、考えなかったりします。ひたすら今の辛さから逃れるために他人を脅したり逃げたりするわけです

 本心では良くなりたいのに、他人の目が気になったり自立心が弱かったりして混乱してしまう。現在が辛いからそれから逃げようとして他人を蹴落してでも上にいこうとしたり、悪口を言ったりします。それで、一時は、不安が減るんです。でも、結局、元の木阿弥で戻ってしまう。底沼に脚を取られている状態ですね。

 ではどうしたら未来に向かって歩を進めるか? 何度も書きましたが、まず自分が本当にしたいことはなんなのか? を汚れのない眼で見つめることでしょうね。そして良い未来に進むために、現在を努力して積み重ねていく。

 過去の積み重ねにより現在はあるわけです。そして現在を積み重ねると未来ができます。過去は変えられないけれど、現在は変えられるわけです。現在を変える努力を少しでもいいのでしていくと、それは大きな未来の成功へとつながります。いつか自立心のある、やさしい人になれます。それは確かです。そのためには、思いきって、新しい流れに飛び込む勇気を持つことではないでしょうか。人は人、自分は自分と言い聞かせて、他人を気にせずに、未来に向かって進むこと。そうすれば、自立心が増えていきますし、他人の目を気にしない、やさしい人にもなれると思います。

まとめ

今日はやさしく生きる方法について様々な情報を書きました。よければ参考にしてみてください。

今日はここまで!

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最後まで読んでいたきありがとうございました。

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