【納得】自分へのやさしさで欠点を受け入れ幸せになる方法
こんにちは! 浅岡です。
皆さん、毎日の競争、お疲れ様です!
学校で学力を競います。
職場で売り上げを競います。
私たちはいつも競争に明け暮れます。
今日はそういう競争にまきこまれずに、本当の幸せを掴むためにはどうしたらいいかというお話です。
ブログを読むのが億劫な人は動画をどうぞ。内容はブログと同じです。
目次
欠点を認めない人
自分の欠点を認めない人っていますよね。仕事でミスをして、こういうところが駄目だよと指摘すると、逆ギレをして、開き直るとか。自分は悪くないと言って、他人のせいでこうなったとか言う人です。自分を守っているんです。これは家庭や学校教育にも問題があって、何か他人に迷惑をかけたら、反省をして謝罪するという習慣のない人です。
幼少の頃からどういう指導を受けてきたかで分かれます。親や教師が、他人に迷惑をかけた子供に、反省をさせ、謝罪をさせ、行動を改めるという一連の流れを体験させたかどうかが大切です。親や教師も子供が可愛いわけです。だからこそ、一人前の人になって欲しいから、悪いことをしたら反省させるという行動を体験させます。
ところが、そういう習慣のない家族や教師がいます。そういう人は、他人に迷惑をかけると、一言、「ごめんなさい」とか「すみません」と言うだけで、反省や行動の変化をしないんですよ。さらに指摘されると、逆ギレをするか、無視するかして、自分の非を認めなかったりします。ひどくなると他人のせいにします。
そういう家庭環境や学校環境にいると、人はまともには育たないのです。
間違った方法で乗り越えようとする
まともな人として育たない人の共通点としてあるのは、問題が起きると、間違った方法で乗り越えようとするということです。たとえば、自分の容姿についてからかわれ、傷ついたとします。すると、見た目を変えようとして、髪型を変えたり、服装を変えたり、極端になると顔を整形したりします。それは、一見正しい対処法に見えますが、心の傷は治りません。さらに極端になると、学業やスポーツに力を入れて、他人に勝ることをしようとします。自分の容姿をからかった者に、学業やスポーツでやりかえすことで、一時の優越感を味わいます。「ざまあみろ」という感じですかね。
「私はあいつを絶対に許さない」というネガティブな動機で、行動をします。ひどい場合は、いじめや暴行をするかもしれません。他人をおとしめることで、優越感に浸ります。でもそれは、一時的なもので、根本的な問題解決にはなりません。他人に勝っても心の傷は癒えません。逆に、ますます強固に傷を見ない方へ進んで行きます。たとえば、自分は風邪を引いたのに、風邪をひいたことを認めたくなくて、腹痛なんだと決めつけて、腹痛の薬を飲む。それで具合が悪くなっても、頑なに風邪だと認めず、腹痛の薬を飲み続ける。身体はどんどん悪くなるだけです。それでは風邪は治りません。それと同じですね。
心の傷は、学業やスポーツや、他人を傷つけることでは癒されないのです。それは傷ついたことへの復讐として、相手より勝ろうとする補償作用なのです。自分を傷つけておとしめた相手を自分よりも低い存在にいたらしめて、傷を負わせたい、この怒りをぶつけたいという原始的な行動です。
こういう行動はたくさんあります。たとえば、夫婦仲が悪いから子供ができたら良くなるという間違った考えや思いつきから子供を作り、ますます苦しい生活になるとか、東京に行けば、こんな私でも輝けるかもと思い、上京するとか。
今の生き方が苦しいから状況や環境を変えるという甘い見通しから、ますます辛い場所へ行動をしてしまうわけです。一時は夢見て、行動をし、さあこれから良くなるぞと思うのですが、間違った対処法なので、失敗に終ります。こういう生き方をする人は、かなり多いと思います。テレビのドラマの見過ぎで、こういう恋愛ができるとか思うわけです。
昔、「ロングバケーション」という有名なドラマがあって、主人公はピアニストで、賞を目指してピアノの練習をします。そこに売れないタレントと出会い、恋愛をし、才能を開花させます。それはドラマとしては感動できるものなのですが、それを真に受けて、ドラマの影響からピアノ教室に通う人が増えたそうです。ピアノを習うことで、ドラマのような出会いがあるのじゃないかと、間違った行動をする人がいたのでした。ときどき、こういう現象があり『金八先生』を見て、教師を目指したり、行政書士のドラマを見て、行政書士を目指すとか。間違った行動をしてしまう人は一定数います。
自分をやさしく認めることで他人をやさしく認められるようになる
ではどうしたら自分の傷を認め、補償作用としての行動をやめることができるか。それは、自分を認めることです。外に原因を探すのではなく、内に原因を探すのです。たとえば、カウンセラーに自分の心の傷を語ることで、恐れている感情を受け止め、ありのままの自分を受け止めることです。自分の欠点を認めることです。
欠点を認めることは怖いことです。親や友だちから馬鹿にされ、辛い気持になったことがあり、それを思い出すのが怖くて、つい欠点から目をそらそうとします。ドラマや映画などの芸術に触れることで、目をそらします。でもそれでは治りません。
欠点は、悪いことではないのです。また、欠点と考える必要はないのです。ただの違いです。これは方言を考えたらわかりやすいでしょう。方言を馬鹿にされたとしても自分に自信がある人は、自分の方言を治そうとはしません。郷土愛があるなら、なおさら方言のままで生活をするでしょう。方言は欠点ではありません。ただの言語です。他人と違うのは当たり前なのです。
どうしたら自分の傷に対して自信を持てるようになるかというと、自分にやさしくなることです。自分へのやさしで、自分の欠点を褒めることです。自分の欠点を他人に批判されたことで、傷ついたのなら、自分で自分の欠点をやさしく褒めて下さい。他人に批判された以上に、自分をやさしく褒める。ノートに書くのでも言葉にして呟くのでもいいでしょう。自分をやさしく褒める言葉を自分に語っていくとそれは自信になります。たとえ批判されても動じなくなります。
子供を育てていくのに、駄目だ、駄目だと言って育てた子供は記憶の中に何をやっても駄目だという刷り込みがあるために、何をやっても駄目になります。その逆をすればいい。自分をやさしく包み込み、やさしい言葉をかける。やさしく褒める。それをやればやるだけ癒されていきます。ときには泣くこともあるでしょう。そうしてほめ続けることで、自信がつきます。
すると、自分の見たくない自分を逃げずに認められるようになり、正しい治し方がわかります。冷静に対処ができるようになります。
たとえば、メンタルクリニックに通う人で、薬を出されても、途中で飲むのをやめてしまう人がいるそうです。それは薬を飲む自分が許せないのです。自分の病気を認めたくないので、薬を飲まないわけです。でも、病気だから体調を崩し、一向に良くなりません。自分を許し自分には薬が必要だと認めることのできる人は、病気の快方に向かいます。
そのためにも自分をやさしく褒めることが大切です。
そして自分をやさしく褒めることができる人は、他人の欠点に寛容になります。自分の欠点を受け入れられたように、他人の欠点を受け入れられるようになります。
優越や競い合う生き方から、意識が変わり、人間が変わり、付き合う人たちが変わり、共生や、やさしさの生き方に変わっていきます。器が大きくなります。
家系の毒を吐き出すことになり、成功できる
前に、家庭環境に問題がある人は、反省する経験がないと書きました。その人、その人により違った家庭環境があるのですが、その中に家系の毒という考えがあります。
虐待やネグレストをする親は、子供の頃に親から虐待を受けた経験があります。すると、そういう習慣を身に付けているため、自分に子供ができると虐待をしてしまいます。それは自分が受けたことをそのまま子供にしているだけです。悪気がないのです。悪いことだと思わずしてしまいます。この習慣は、代々、親から子に受け継がれています。きっと先祖も、虐待をしたりされたりしていたのです。それが綿々と受け継がれているだけです。これを家系の毒といいます。
よく虐待を受けた人が、皆、虐待をするわけではないという主張がありますが、これは、虐待を受けた人が、周りの大人から助けられ、君がされた虐待はいけないことだと指摘された人は、虐待はいけないことだとわかり、子供にはしないようになります。そういう指摘してくれる人と出会えたかどうかで、虐待の連鎖を続ける人と止める人に分かれます。
虐待をする家庭、父親が頼りない家系、母親が病気の家系。様々な家系の毒があります。その連鎖を止めて、新しい生き方をすることが私たちの課題でもあります。家系の毒を吐き出すことで、子孫に良いところだけ受け継がれるようになります。
今日は、自分へのやさしさで欠点を受け入れ幸せになる方法についてお話ししました。
今日はここまで!
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
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