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【合点がいく】憎しみを吐き出すとやさしくなれる

2021/05/18
 
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 私はKindle作家の浅岡家山といいます!  このブログでは『やさしさ』や『物語技法』『Kindle本』などの皆様に役立つ知恵を、色々な形で発信していきます。
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こんにちは! 浅岡です。

今日は心についてのお話です。

やさしさって体験すると気持が良いですよね。

プレッシャーとかで殺伐としていた心もほっこりするというか(笑)

でも、なかなかやさしさを体験することって少ないですよね。

今日はその原因について語りましょう。

憎しみを吐き出すとやさしくなれるというお話です。

はじまりはじまり~♪
ブログ記事を読むのが億劫な人は動画をどうぞ。内容はブログ記事と同じです。

目次

やさしさを出そうとしても憎しみのほうが溜っているのでやさしさが出せない

私たちの住んでいる社会は、競争社会ですね。毎日、子供は学校の成績で、大人は会社の売り上げで、競争をしています。そこで重要になってくるのが、上の人間の言うことに従うということです。私は暴力とか脅しとか、そういう攻撃的なものは肯定しません。ただ、暴力的な教師っていましたよね。授業で当てられて、質問に答えられないと、なんでわからないんだ! と怒って叩いたりします。ヒステリー気味で怒鳴る先生もいました。大人の社会でも同じですね。パワハラも同じ構造です。

暴力を受けた生徒や大人は、自分が間違っていたからいけないんだと自分に言い聞かせながら、その教師や上司に対して憎しみや怒りをため込みます。でも、それを教師に向けて表現することはありません。そこで感情を抑圧するわけです。

憎しみや怒りが溜り、あるとき、それが爆発してキレる子供や大人になるのです。ルールを説いて、そのルールに違反する行動は否定されるため、憎しみが発散できず憎しみがどんどんたまります。

この社会は、憎しみのたまりやすい社会だといえます。この憎しみを発散させないと、いつか大きな争いになります。

アリスミラーという精神科医の著書『魂の殺人』では、ナチスドイツの誕生は、第一次世界大戦で負けたことによる賠償金が原因ではなく、当時のドイツ人が受けていた暴力的な教育方法が原因だと語っています。当時のドイツの子供たちは家庭でも学校でも激しい暴力に晒されていて、勉強ができないと暴力をふるわれていました。つまり、暴力が肯定されていたわけです。生徒たちは「勉強ができない自分が悪いから暴力を受けるんだ」として受け入れていますが、憎しみの感情はどんどん蓄積していきます。その衝動が、ナチスドイツの「人種として劣っているユダヤ人は迫害するべきだ」という主張に賛成させていたのではないかと書いています。

日本もこれほど極端ではありませんが、体罰や折檻などの肯定された暴力は存在します。これが厄介なんですね。

憎しみを出して行けばやさしい行動が出来るようになる

私たちの社会は、基本的に他人に迷惑をかけてはいけないという社会です。だから憎しみを覚えても我慢しなければいけないと習います。憎しみは我慢しなければいけない。それを表に出すことは、悪いことだと言われます。憎しみで他人を攻撃するような常軌を逸する行動は批判されます。そして、他人が嫌な気持になる迷惑をかけることは許されません。憎しみを吐き出す、ガス抜きの行動が少ないのです。だから多くの人は、憎しみを抱えて生きているのでしょうね。テレビで毎日、殺人事件が報道されるのはそういうことです。

では、どうしたら憎しみを吐き出すことができるかというと、憎しみを日記を書いたり、バッティングセンターでボールを嫌いな人に見立てて、打てばいいんですよ。腹が立ったら、ボールに怒りを込めて打つ。すると、憎しみの感情を味わい、表に表現することで、憎しみは減っていきます。

私はコンビニで働いていたときに、最初は、オーナーからバシバシ怒られました。ミスをするたびに叱責され、鬱々としていました。あるとき、自分を変えたいと思い、憎しみや怒りをノートに書くようにしました。すると、憎しみが減りつつ、強い疲れを感じて、ぐっすりと眠れるようになりました。憎しみを表に出したために、身体の緊張が解き放たれて、楽になったのだと思います。

憎しみは吐き出すことができます。

さらに良いことは、憎しみを吐き出した人は、他人にやさしくなれるんですよ。これはカウンセラーと同じです。自分の抱えている問題を乗り越えたことで他人を癒すだけの力になります。つまり、憎しみを乗り越えた経験のある人は、憎しみを持っている他人の気持がわかり、助言をしたり、他人を受け入れてやさしくなったりすることができるのです。傷ついた人ほどやさしくなれるというのはそういうことでしょうね。

やさしいことが美徳、やさしい人たちの社会ができるかも

私たちの住んでいるこの社会は競争社会です。勝つことが大切だと教えられます。学校では勉強を頑張ることが善であり、勉強をしないことは悪であると決めつけられています。

前にも書きましたが、やさしさは点数にはなりません。競争社会では評価されません。だからやさしさを表現することが良いことだという風潮が必要なのかなと思います。

日本は拝金主義で、いくら稼いだとかどんな車に乗っているとか、そういう視点で人間を評価するところがありますね。でも、AIの誕生によりあと百年経てば違う社会もありえるでしょう。やさしいことをすることが当たり前の社会ができるかもしれませんね。

競争ではなく共同の社会 競争をする社会と競争をしない、やさしい社会が共に存在する社会がいい

多分、私が死ぬまで、競争社会はなくならないでしょう。でも、やさしい社会の芽が出ることは可能でしょう。たとえば、競争する社会とやさしい社会が共に存在する社会ができればいいと思います。

ではやさしい社会を作って行くにはどうしたらいいか? というと、隣の人を大切にするということですね。それは遠いところの人を助けることよりもまず身近な人に親切にしようということです。親切の輪をどんどん広げていけば、きっとやさしい社会が出来ていくと思います。

まとめ

今日は憎しみの溜る社会とそれを発散させる方法についてお話ししました。

いつか、やさしさが評価される社会になるといいですね。

今日はここまで!

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最後まで読んでいただきありがとうございました。

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